アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)

アルジャーノンに花束を〔新版〕(ハヤカワ文庫NV)





  • 作者:ダニエル・キイス

  • 出版社:早川書房

  • 発売日: 2015-03-13






 

 

知的障害者のチャーリー・ゴードンが手術によって、天才へと変貌を遂げ、この世界の真の姿を知っていく。その過程で彼に与えられたものは、愛や苦しみ、楽しみや憎しみだった。驚異的な知能を手にすることは果たしてチャーリーにとって幸せなことだったのだろうか。知的レベルを上昇させ、新たなテクノロジーを生み出し続ける今日の人類。私たちが歩んでいる道には、便利さが追求され続け、生きることがより快適となっている。しかし、その裏で失われているものがあるのではないだろうか。初出から55年を経た今でも世界中で愛される古典的名作『アルジャーノンに花束を』は、現代の私たちも抱えている問題について考えさせる作品である。

 

物語はチャーリーが日記のごとくつけている「経過報告」を追うことで進んでいく。はじめは「けえかほおこく」と記され、文章も全てひらがなだ。実に読みにくいが、これは文章によってチャーリーの知能レベルを表している。日付が進んでいくにつれ、少しずつ漢字が増え、専門的な言葉が増え、主語述語が鮮明になり、読みやすい文へと変化していく。その変化が落ち着く頃には、チャーリーは世界的にも有数の天才学者となっており、学問に関する議論が行われているところなどはなかなか意味を理解するのが難しいレベルだ。しかし、これはほんの一部のことであるので挫折してしまう心配は無用である。むしろ、知能を得たことによって苦しむチャーリーの普遍的な悩みが訴えかけてくるもののほうが強烈だ。ページをめくる手が思わず止まり、うーんと考えてしまうことも多々あるだろう。「読み手に考えさせる」というのは、作品にそれだけの力があることの証明である。

 

本書のテーマの一つは間違いなく「知能の獲得」に関することだ。新版では、著者自身による「日本語版文庫の序文」に次のような文章を寄せている。

 
つまり、知識の探求にくわえて、われわれは家庭でも学校でも、共感する心というものを教えるべきだと。われわれの子供たちに、他人の目で見、感じる心を育むように教え、他人を思いやるように導いてやるべきだと。自分たちの家族や友人ばかりではなく――それだったらしごく容易だ――異なる国々の、さまざまな種族の、宗教の、異なる知能レベルの、あらゆる老若男女の立場に自分をおいて見ること。こうしたことを自分たちの子供たち、そして自分自身に教えることが、虐待行為、罪悪感、恥じる心、憎しみ、暴力を減らし、すべてのひとびとにとって、もっと住みよい世界を築く一助になるのだと思う。

 

知識は、それ単体で取得することには大きな危険を伴う。ノブレス・オブリージュとは、力には責任を伴うことを意味した有名な言葉であるが、知能においてもそれは同じことである。想像力を働かせ、自分の世界が狭きものになることを防がなければならない。本を読む私たちにもまた、それだけの力と責任が生じているのである。